ホンダの企業文化を象徴する有名なエピソード。本田宗一郎の引退

昨日のblogでは「ホンダらしさ、ホンダの強みとは、本来なら相反するプロダクトアウトとマーケットインのバランスをとって新しい市場を作り出す企業文化」だと書きましたが、

書きながら以前プロジェクトXでやっていた話を思い出しました。今思い返すと、それは「ホンダの企業文化を象徴するエピソード」だなと思ったので、それを書こうと思います。

 

私が生まれる前の1970年代の話ですが、1975年にアメリカで廃棄物を今までの十分の一に減らさなければ車を売ってはいけないという「マスキー法」が制定されました。それを受けてフォード、クライスラー、GM等の企業が適合するエンジンを開発しようとしますが、上手くいきません。

そこに名乗りを上げたのがホンダです。

技術者である本田宗一郎は適応するエンジンに「空冷式」を提案して話を進めますが、当時の開発責任者からは「水冷式」でなければ作れないという案が出され、技術者としてのプライドで双方譲らず、意見は2つに分かれます。

何とかして欲しいと副社長の藤沢が相談を受け、本田宗一郎に「あなたは技術者なのか、社長なのか、どっちを選ぶんだ?」と質問します。

本田宗一郎は「社長としての立場を選ぶ。エンジンは水冷式でいこう」と決断を下しました。

しかしエンジンの開発は難航。毎晩徹夜が続きます。本田宗一郎は皆の前で「これはあのビッグ3にも肩を並べる、ホンダにとってのチャンスなんだ。何としても成功させよう」と演説をします。

ところがそれを聞いた技術者達から「私達は会社のためにやっているのではない。社会の為にやっているんだ。自分達がやりたいからやっているんだ。」との声が上がり、それを聞いた本田宗一郎は開発の現場からも遠ざかります。

その結果、見事にエンジンの開発は成功し、世界で1番最初にマスキー法に適合する車が誕生したと世界中でニュースになりました。

それが有名なシビックですね。環境に良くて低燃費と大ヒットしたそうです。

シビック

 

そして、この成功の数か月後に、本田宗一郎は副社長の藤澤と共に引退を発表します。

エンジンを水冷式でいこうと決断し、開発の現場からも退いた時、一体どんな気持ちだったのでしょうか。きっと本田宗一郎が最初に思い描いていた「ホンダらしさ、ホンダの強み」が出来上がっていた事、後の世代にも伝わっていた事を喜んだのではないかと思うのです。

企業文化って作るのはとっても時間がかかりますが、それは「決してマネされる事のない強み」になるんだなとホンダの事例を通して思いました。

ホンダ

 

私達も「自分たちが楽しいから挑戦する、お客様が喜ぶから挑戦する」といった後のも伝わる文化を作り上げていきたいなと思いますね。

 

最後に、引退後の本田宗一郎のエピソードを。

本田宗一郎

全国のホンダの営業所、工場を訪れ社員一人一人に挨拶し、握手を交わしたいと言い出したのだ。それが社長を辞める際の彼の唯一の願いだった。飛行機、車、新幹線を乗り継いで彼は全国どころか外国も含め、1年半ですべてを回りきった。

ある工場で宗一郎氏と握手する前に急いで走り去ろうとするものがいた。「どうした?」そう呼び止めると「手が汚れているから」と油で真っ黒になった手を隠しながらもぞもぞしている。

だが宗一郎は、「いいんだよ、それでいいんだ」と彼の真っ黒な手を握り締めた。「働いている手じゃないか、立派な手だ。俺はこういう手が一番好きだ」そういいながら涙ぐむ宗一郎氏と一緒に社員も涙を流した。

 

引退までずっと技術者であり続けた本田宗一郎らしいエピソードですよね。まさにカリスマ的な経営者です。

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