CEO BLOG / 2026.10.27

何が起きたのか
「Claude」を開発するアンソロピックが、2026年10月26日に上場申請書を提出しました。6月に非公開で草案を出していましたが、今回はじめて決算の中身が世の中に公開されたことになります。
結論から言うと、売上は1年で14倍に伸びていて、本業の黒字化が目前に迫っています。807億ドルという巨額の赤字が話題になっていますが、その大半は帳簿上の損失です。順番に見ていきます。
上場の基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 上場先 | ナスダック(Global Select Market) |
| 主幹事 | ゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー |
| 上場時期 | 11月中旬が目標と報道 |
| 直近の評価額 | 9,650億ドル(2026年5月の資金調達時) |
直近の資金調達では評価額が約1兆ドルに迫り、ライバルのOpenAI(8,520億ドル)を上回りました。
売上は1年で約14倍
2026年上半期(1〜6月)の売上は163億ドルでした。前年同期は11.6億ドルなので、約14倍に増えています。
| 期間 | 売上 |
|---|---|
| 2026年上半期 | 163億ドル |
| 2025年通年 | 46億ドル |
| 2025年上半期 | 11.6億ドル |
3年前の売上は年4,100万ドル程度だったと報じられており、成長のスピードは異例です。
807億ドルの赤字、その正体
上半期の純損失は807億ドルで、売上の約5倍です。ただしこの大半は、転換社債の時価評価による帳簿上の損失で、実際に現金が出ていったわけではありません。
転換社債とは、「お金を返す代わりに株に交換してもいい」という権利がついた借金です。会計ルールでは、この借金を毎回いまの価値で評価し直します。
つまり、会社が成功して株の評価額が上がるほど赤字が大きく見えるという、ちょっと皮肉な仕組みです。上場で社債が株に転換されれば、この種の損失は基本的に出なくなりますが。
計算コストを「学習」と「推論」に分けて考える
本業の営業損失は6.93億ドルまで縮み、前年同期の21.4億ドルから大きく改善しました。費用の中で最大なのが、上半期で89.5億ドルかかった計算・インフラコストです。このコストは、AIを作る「学習」と、AIを使ってもらう「推論」の2つに分けると、性質がまったく違うことが見えてきます。
学習と推論はどう違うのか
| 学習 | 推論 | |
|---|---|---|
| 何に使うか | 新しいモデルを作る | 顧客の質問や作業に答える |
| いつ発生するか | 開発時にまとめて | 使われるたびに毎回 |
| 使う量を決めるもの | 会社の開発計画 | 顧客の利用量 |
ただし、アンソロピックの費用は、使った量に合わせて増えるわけではありません。計算資源を12〜18か月前に何年分もまとめて契約しているので、費用の大半は先に決まっています。利用が増えると変わるのは、確保した計算資源のうち推論に回す割合です。
学習と推論、どちらにお金がかかっているのか
アンソロピックは、計算資源を用途ごとに買い分けていません。複数の会社と何年も先まで契約し、まとめて確保しています。確保した計算資源は、全部を1つの共有の資源として扱います。そのうえで、その時々にいちばん役に立つ用途へ回しています。
たとえば、お客様の利用が急に増えた時期は、推論に多く回します。新しいモデルを学習させる時期は、学習に多く回します。配分は日々変わるので、決算書の本体は計算コストを「計算・インフラ費」の1行にまとめています。普通のソフトウェア会社の決算書には「売上原価」と「粗利率」が載っています。アンソロピックの決算書の本体には、この2つがありません。
ただし、申請書の注記には、同じ費用を用途別に並べ直した参考の表があります。この表を使うと、学習と推論のおおよその比率が分かります。
| 2025年通年 | 2026年上半期 | |
|---|---|---|
| 計算・インフラ費の合計 | 73.3億ドル | 89.5億ドル |
| 推論(有料のお客様への応答) | 約25〜28億ドル | 約21〜24億ドル |
| 推論(無料で使う人への応答) | 最大3.4億ドル | 最大6.4億ドル |
| 学習 | 約42〜48億ドル | 約59〜68億ドル |
| 合計に占める学習の割合 | 約6割 | 約7割 |
お金が多くかかっているのは学習です。2026年上半期は、計算コストの約7割が学習・研究・社内利用に使われました。推論は3割前後です。
この表には注意点が2つあります。1つ目は、注記の表が「学習」だけを切り出していないことです。研究の実験と社内での利用も、同じ枠に入っています。2つ目は、無料で使う人への応答の費用が公表されていないことです。この費用は、広告費などと同じ販売・マーケティングの枠に入っているというのは面白いですね。
全体の推移:売上1ドルあたりの計算コストが急低下
| 期間 | 売上 | 計算・インフラコスト | 売上1ドルあたりの計算コスト |
|---|---|---|---|
| 2026年上半期 | 162.9億ドル | 89.5億ドル | 約0.55ドル |
| 2025年上半期 | 11.6億ドル | 23.3億ドル | 約2.0ドル |
| 2025年通年 | 45.9億ドル | 73.3億ドル | 約1.6ドル |
| 2024年通年 | 3.9億ドル | 25.2億ドル | 約6.5ドル |
| 2023年通年 | 0.4億ドル | 4.3億ドル | 約10.6ドル |
1年前は1ドル稼ぐのに2ドルの計算コストがかかっていましたが、いまは約0.55ドルです。売上が約14倍になった一方、計算コストは4倍弱の増加にとどまりました。
推論:使われるほど効率が上がる
推論に使う計算資源は使用量に比例して増えますが、1回あたりに使う量は下がり続けています。申請書によると、Claude Opus 5.5は前世代のOpus 5に比べて、顧客の1タスクあたりのコストを約40%下げました。それでも利幅は保てているとしています。
これを支えているのは2つの工夫です。
- アルゴリズムの改善:同じ計算量でより多くの成果を出す技術(同社は「コンピュート・マルチプライヤー」と呼んでいます)
- 複数のチップの使い分け:AWSのTrainium、GoogleのTPU、NVIDIAとAMDのGPUを、価格と性能に応じて使い分け
参考までに、上場前の報道では、推論コストを差し引いた2025年の粗利率は約40%で、推論コストが社内想定より23%高かったと伝えられていました。アンソロピックは2027年に70%超を目指していたとされます。申請書の数字で計算すると、2025年は報道どおり約40%です。2026年上半期は約85%で、70%をすでに超えています。無料で使う人への応答の費用を引いても、8割を超えます。値下げしながら利幅を広げられるかが、AIビジネスの勝負どころです。
学習:止められない先行投資
学習コストは売上とは関係なく、より賢いモデルを作るための「投資」です。報道では、2025年の学習コストは約41億ドルの見込みとされていました。同年の計算コスト全体73.3億ドルの半分強にあたります。
学習には、次のような難しさがあります。
- 規模が性能を左右する:計算量を増やすほどモデルが賢くなる傾向(スケーリング則)がありますが、申請書はこの関係がいつまで続くか不確実だとしています
- 失敗のリスク:数週間から数か月かかる学習が、狙った性能に届かず失敗したことが過去にもあったと、申請書は認めています
- やめられない:最先端から遅れると顧客を失うため、競争が続く限り投資を続けるしかありません
一方で、Claude自身が次のモデルの研究や学習を手伝う(AIにAIを進化させる)ことで開発を加速させる仕組み(同社は「ループを閉じる」と表現)を、強みとして挙げています。
今後の見どころ
アンソロピックは今後、数千億ドル規模の計算資源を確保する契約を結んでおり、大半は2030年までに、残りは2045年までに支払う予定です。報道では、5年間で1,252億ドルの設備リース契約も明らかになっています。
つまり、推論は売上と一緒に効率よく伸びる一方で、学習とその土台となる計算資源は、売上が伸び悩んでも払い続ける固定費に近い性質を持ちます。売上の成長が続けば、学習コストの比率は下がって利益が積み上がります。ただし、成長が鈍れば、この固定費が一気に重荷になります。
株式報酬などを除いた調整後の営業利益率は、上半期に10%まで改善しています。今後、学習と推論の内訳や粗利率がどこまで開示されるかも注目点です。
普通の上場企業とは違う「統治の仕組み」
アンソロピックは、株主だけでは経営を動かせない珍しい構造をとっています。
- 公益法人(PBC):株主の利益だけでなく、社会への影響とのバランスを取ることが法的に求められる会社形態です
- 長期利益信託(LTBT):会社から独立した信託が、特別な株式(Class T)を通じて取締役会の過半数を選んだり、解任したりできます
狙いは、目先の利益や買収圧力によって「安全なAI開発」という使命がぶれないようにすることです。投資家から見ると、経営の安定につながる安心材料とも、株主の発言力が弱まる懸念材料とも受け取れ、評価が分かれるポイントです。
まとめ
今回の資料から見えてくるのは、AI産業が大きな成長市場であると同時に、非常に資本集約的なビジネスでもあるということです。
Anthropicは売上高を急速に伸ばしている。しかし、その成長を支えるためには、AIモデルの研究・開発に多額の費用を投じ、利用者にサービスを提供するための計算資源も確保し続けなければならない。
今後、AIの性能が向上し、利用者が増えれば、ビジネスの規模はさらに拡大する可能性がある。
一方で、利用者が増えるほど推論コストも増えるため、売上の成長がそのまま利益の成長につながるとは限らない。
だからこそ、今後のAnthropicを見るうえでは、売上高の伸びだけでなく、営業損益の改善や計算効率の向上にも注目したい。
AIが人間の仕事をどこまで代替できるのかという議論は、これからも続くでしょう。
しかし、企業として考えるなら、もうひとつ重要な問いがあります。
AIは人間の仕事を代替できるのか。そして、その仕事を代替するために必要なAIのコストは、人間を雇うコストよりも安くなるのか。
AIを導入する企業にとっても、AIを開発する企業にとっても、この問いが重要になっていくはずです。
AnthropicのIPOは、AIの可能性だけでなく、AIを持続的なビジネスとして成立させるための課題を考える、よい材料になると思っています。
※本記事は投資を勧めるものではありません。